劇場版 魔法少女まどかマギカ[新編]叛逆の物語 感想
劇場版 魔法少女まどかマギカ[新編]叛逆の物語見てきました。
ネタバレ(?)感想書きたいので、過疎ってるブログにこそっと書く。

まーいろいろつらつら考えたんですが、
前回のEDである「Magica」ってむしろ
今作のほむらにこそ合うんじゃないかって。

いつか君が瞳に燈す愛の光が
時を超えて
滅び急ぐ世界の夢を
確かに一つ壞すだろう

新編を作ると聞いて、実はあまり見る気はありませんでした。
新編がどういう話になろうと、私が好きなのはあくまでも
全12話の一連のシークエンスがなわけですから。

これはどういう意味かと言うと、例えば私はある歌が好きでも、
その歌手の歌を全部集めるとかはしないんです。
私が好きなのはあくまでもその歌であって、同じ人が作ったからと言って
全て私の好みにストライクする訳ではないと思っているから。

なのでその後の物語がどういう風になろうと、
ぶっちゃけ「知ったこっちゃない」と思っていました。

それが何故見に行く事になったかと言うと、
私の好きな「映画のブログ」さんが取り上げていたから。

この人は本当にすごくて、どんな作品も(いや、もちろん本人が面白いと思った作品だけでしょうが)絶対に否定から入らない。
必ず肯定してくれるんです。
こういう感想ブログってすごく珍しくて、だいたい上から目線で「あれは駄目」から入るか、
何もかも受け入れて「それでも良いの」と訳の分からないところに着地するかのどちらか、
のブログが圧倒的に多いんです。

でもこのブログの主さんは、「これってどうよ?」と思うような場面もちゃんと作り手を尊重し、肯定し、しかもそれを実に客観的に納得できるところに落とし込んでくれるんです。
知識も半端ないので、それをすんなり受け入れる事が出来る。

この人がレビューを書いているなら。
どんな出来上がりになっていても、受け入れられる気がする。
そして「ネタバレ」と書かれたこのページが見たい。
という変わった欲求により、映画を見る事を決意しました。

躊躇いを飲み乾して
君が望むモノは何?
こんな欲深い憧れの行方に
儚い明日はあるの?

さて多くの場所で「賛否両論」と言われていた今作ですが、
私も正直見終わった後はもやもやしてました。
これで終わって良いの?的な。

でも上記の「映画のブログ」さんの論評を読んで思うところがありました。
曰く、
「その世界は、ほむらがみずからの力で勝ち取ったものだ。
 努力すれば世界さえも変えられる。本作からは、そんな明朗なメッセージが伝わってくる。
 ここには永劫回帰に耐える強さも、明るい結末を期待せずに生きる覚悟も必要ない。
 いくら努力してもできないものはできないと思い知らされた前作に比べ、なんと明るい物語だろう。」


子供の頃夢に見てた
古の魔法のように
闇さえ砕く力で
微笑む君に会いたい

「明るい」ーー
あんなダークな映像表現だったのに、明るいと評するんだ。

しかし、確かにラストの世界には、文句の付けようのない「幸せ」が満ちあふれていた。
マミさんが生きていて…まどかが隣にいて…キョウコが飢える事なく…
何よりも、「まどかですら救えなかったさやか」ですら、「京介や仁美にもう一度挨拶出来る世界」が構築されているのだ。

もしあれがハッピーエンドだと言うならーー
「きれいごとでは世界は救えない」
という虚淵さんの声が聞こえてくるようで怖いw

怯えるこの手の中には
手折られた花の勇氣
想いだけが賴る全て
光を呼び覺ます 願い

今作品をして、「まどかの願いをなかったことにして、自分の都合のいい世界を作り出したほむらは自分勝手だ」と言っている人がいた。その通りだと思う。

しかし。とも思う。

実はほむらは、前回からずっと「自分勝手な世界」を作り上げていた。いや、作り上げようとしていた。
「まどかとの出会いをやり直したい」
という願いは、それ自体「自分の納得のいくようにやり直したい」という願いに他ならない。
しかし、前作では「自分勝手だ」と避難される事はなかった。
何故か?

いつか君も誰かの為に
強い力を望むのだろう

それは、ほむらが、失敗し続けるからだ。
願いは、最後まで、叶わないからだ。

愛が胸を捉えた夜に
未知の言葉が生まれて來る

そもそも、私(たち)はこの作品に何を望んでいたのだろう。
みんなが微笑んで暮らしていける世界だとしたら、それは今作の前半で見せてくれた。
しかし、あのシーンを「是」としたレビューはほとんど見られなかった。

皆がおそらく見たかったのは、苦悩し、苦労し続けるほむらだ。
逆境にあらがい、それでも健気に戦い続けるほむらを尊いと感じ、応援する気になれた。
前作のラストで涙した人は、まどかの自己犠牲ではなく、
今まで頑張って頑張って頑張り続けたのに、最後の最後で愛する人を失い涙するほむらに対してだろう。

少なくとも、私はそうだ。
それに気付いたとき、愕然とした。
私はほむらの幸せを望んでいなかったのだ。

迷わずに行けるなら
心が碎けてもいいわ
いつも目の前の哀しみに
立ち向かう為の 呪文が欲しい

前作を見終わったと、常々考えていた。
まどかという心の拠り所を失ったほむらは、どうやって生きていくんだろうかと。
「姿は見えなくても傍にいる」というのはひどく抽象的な概念だ。
それはともすれば「思い込み」にしか過ぎない。
今作でほむらが言っていたように、「自分が勝手に作り出した想像に過ぎないのではないか…」と不安になるのは当然の事だ。だって、自分以外誰も「知らない」のだから。それは「想像」とどう違うのだろう。

君はまだ夢見る記憶
私は眠らない明日
二人が出会う奇跡を
勝ち取る為に進むわ

『山椒魚』という作品がある。
井伏鱒二さんの代表的な短編小説だ。
成長しすぎて自分の棲家である岩屋から出られなくなってしまった山椒魚は、
ある日迷い込んできた蛙を逃すまいと、入り口を塞いでしまう。…というお話。

1929年に発表して国語教科書にも採用されるほど話題となったが、
1985年、自選全集に収録する際に、なんと作者本人によって結末部分が大幅に削除されてしまう。
その理由について、井伏さんは「ずいぶん迷ったですよ」としながらも「どうしようもないものだもの。山椒魚の生活は」という語っている。

「考え」続けていたのだ。
一度世に放たれ、自分の手から離れた作品について、
実に半世紀近く経っても「考え」続けていたのだ。
山椒魚の置かれた境遇を。山椒魚の嘆き悲しみを、「考え」続けていたのだ。

虚淵さんも考えたのだろうか。
届かない願いを胸に抱いたまま、戦い続ける少女の心境を。
ただひたすら「戦い続ける」と言ったその誓いが、呪いに変わる時間の長さを。

怯えるこの手の中には
手折られた花の刃
想いだけが生きる全て
心に振りかざす 願い

あのまま、孤独のまま戦い続けるほむらは気高く、美しかっただろう。
外から見れば。
でも本人は幸せだったろうか?
心が壊れそうになりながらも、何度も同じ時間を繰り返し、
友人を救おうとして、でも最後の最後でそれが叶わなかったほむらは…

どうあっても、叶えなければ気が済まない願いがあったのではないか?

囚われた太陽の輝く
不思議の國の本が好きだった頃
願いはきっと葉うと
教えるお伽噺を 信じた

ー光と影の中ー

最初私は「もやもやする」とか「ハッピーエンドなのか?」と書いたが、
確かにこれは一つのハッピーエンドなのだろう。

思えば、虚淵さんはこれまでの作品のほとんどを「ハッピーエンド」で終わらせてきたと思う。
本人が言っていたように「ご都合主義は書けない」けれど、
ご都合主義ではないので結構ゴツゴツとして苦みがあるけれど、
誰も犠牲にならずに全ての幸せを手に入れる事が出来た今作は
確かにハッピーエンドだと思う。

靜かに笑き亂れていた
古の魔法優しく
世界を變える力が
その手にあると囁く

…けれど、やはりもう一どんでん返しがあるような気がしてならないw

終わらない夢を見よう
君と行く時の中で
想いだけが生きる全て
命を作るのは 願い

蛇足だが。
前半の魔性少女のシーンは非常に良かったと思う。
シャフトとイヌカレーが本気を出して魔法少女を作ったらこんな映像になる、というのが存分に楽しめた。
前作で「今までに見た事のない魔法少女を」を目指したというが、今回はまさにそれだ。
変身シーンも、魔法少女然としながら、実は全く違うものだった。
光って、裸になって、リボンが巻かれて、キラキラポン、というのが「お約束」だが、今回の変身シーンは全員凝っていた。少しテンポが悪い気もしたが…(映画館では体感時間が長くなるというから、そのたかもしれないが)

あと、戦い方が素晴らしかった。
魔法少女といっても、やってることはプロレス、ってことが多い中、実に「魔法少女」と呼ぶにふさわしい夢のあるメルヘンチックな戦い方だった。大満足。
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# by choyushi | 2013-11-08 16:08 | 作品鑑賞 | Comments(0)
必要なのは「本当の事」だけ。
「死の町」という表現は福島県民の思いに合っている 鉢呂経産相 辞めるべきでない=44%の調査も

鬼のクビを取ったかのように声を荒らげる記者
「死の町」「放射能をうつした」などの発言を巡り、鉢呂吉雄経済産業相が、10日、辞任した。同日、記者会見を開いたが、その様子はニコニコ生放送でも中継された。

辞任のきっかけとなった言動についての具体的な説明を求める記者が多くおり、中には、
説明しろって言ってんだよ!

と声を荒らげて詰問する記者まで現れたが、これに対しては、別の記者が、
記者なら敬意を持って質問して下さい

と一喝した。

「死の町」という表現は間違っていない
品性を欠く質問の仕方を一喝したのはどうやらフリージャーナリストの田中龍作氏のようだが、その田中氏自身は、
「死の町」という表現はむしろ福島県民の思いに合っている、それほど悲惨な状況であるのだから、鉢呂氏の表現は間違いではない。また、ネット上には辞めるべきではないという意見も多くある。

という旨の発言をした。

これに対し、鉢呂氏は、田中氏の言葉を「温かい」と感謝、また、
町はそのままにあるのに、人っ子ひとりいない町の様子を見ると、そのような表現しか浮かばなかった

という趣旨の答えを返した。

辞めるべきではない=44%
田中氏は、今回の辞任は記者たちの「言葉狩り」であると警鐘を鳴らす。放射能をうつすような行動をとったとすれば、それは許されない行為だ。

しかし、「死の町」という表現が、“見捨てられた町”の意味ではなく、「町の様子は何一つ変わっていないのに、そこにもはや簡単には人が入ることすらできない」という、本当に悲惨な状態を示す表現として用いられたのであれば、むしろ、そのような状態に追い込んだ責任の所在を突き止めることの方が重要ではないだろうか。

中継の最後にはニコニコ生放送視聴者に対して、辞任すべきかのアンケートが実施された。結果は以下のようになった。
辞任すべき:41.1%
辞任すべきでない:44.0%
わからない:14.9%



ネットではわりと「死の町」発言に対して
目くじら立ててる人がいないんですよね。

むしろ「放射能付けるぞ」という発言は、
記者の発言に腹を立てて思わず言ってしまった言葉、
みたいな噂もありますし。

そりゃそうですよね。普通に考えて、
いきなりつかつかと歩み寄って「放射能付けるぞ〜」みたいな
小学生のようなことをするわけがない、というのは
まともな大人なら想像できそうなものです。

ちゃんとどういう発言を受けての事なのか、がはっきりしないと、
その言葉尻だけをあげつらえても説得力がありゃしない。
書かれた誌面をそのまま信じる程、マスコミに信用がない事くらい自覚してほしいものです。

そもそも、ソースもなしに「あの人があんな事言ってたよ」なんて言葉を
鵜呑みにする阿呆がどこにいるのかと。

もし「記者は経産相を挑発するような事を言っていない」と言うのなら、
それこそソースを呈示するべきだ(そうすりゃ誰も文句は言わない)し、
それが出来ないならおとなしくすっ込んでろ、と言いたい。



しかし経産相があっさり辞めたのにもひっくり返った。
誤解があるなら誤解だ、マスコミの対応に不満があったのだったらそう言えば良い。
経産相なんて大役を受けたなら、それに対する自信と誇りを持つべきじゃないのか。
そもそも「辞めれば責任を負える」と考えてるのがおかしいだろ。
役人は大変な仕事だと言う自覚をちゃんと持ってください。
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# by choyushi | 2011-09-13 11:20 | ニュースに発言 | Comments(0)
あきらめたら負け
うちの新商品開発のコンセプトは
『世の中にないものをつくること」。
以前は、私が多くのアイデアを出し、
社員が形にしていました。
その中には社員が取り組む前から
「できるわけない」と感じるものも
あったようです(笑)。
10年前から、毎朝、
社員全員で勉強会をしていますが、
そのせいか最近では、
いろんなアイデアが自由に
出てくるようになりました。
あきらめたら負けです。

(株式會社かわかみ 代表取締役 川上 大雄)

企業向けのミニコミ誌ですが『b platz press』
で書かれていた、企業の代表の言葉。

「あきらめたら負け」ってのは
青年向けの漫画でよく見られる表現だし、
一種の真理だけど、大人になると「あきらめも肝心」
「リスクとデメリットも考慮に入れて」と、
案外すぐに負けを認める人が多いなぁ、と、
ニュースの日記などを見ていると思います。

普通なら憤るべき場面を、
「まぁしょうがないね、そういうものだからね」
と訳知り顔で悟ったようなことを書いている人を見ると、
「ずいぶんと寂しい価値観の人だなぁ」と思ってしまいます。

単純に「あきらめるのが良くない」とは思いません。
でも、本当にやるだけのことをやったのか、
その手間や時間を惜しむだけの価値はないのか、と考えると
どうもそうではないことにすら、あきらめているのではないかと。

脊髄反射で「無理無理」と言ってる方が
ポーズとしてかっこいいから言ってるのではないか
と思ってしまう事例が多々あります。

こんな、単純でシンプルだけどアツい言葉を、
企業の代表が口に出しているというのが、
(雑誌向けのポーズかもしれないけど)
ちょっと意外で、感動したので
覚え書きも兼ねて書いておきます。

こういう真っ当な言葉は、
定期的に自分の内に入れないようにしないと
どんどん人間不信に陥ってしまう。
こればっかりでも腐るけど。


おまけ。

ところでこの雑誌の編集後記に、

「日本にある自動改札機は
切符や定期券をどんな向きに入れようと
必ず同じ方向に出てくる。

ATMも、画面の視認性、文字の大きさの選択、
テンキーの操作、騒音、熱、高さ、
お札が出る角度のほか、
ほこりがたまりにくく掃除しやすいといった
メンテナンスのことまで考えて
デザインされている。

日本の製品は海外のものに比べて
内部の見えないところまでこだわって
つくられているそう」

だとありました。

だったら社食のカード発行機も
スムーズにお札を読み込んで欲しい…orz
5回くらい戻ってきたことあるぞ。

それとも日本製じゃないのかしら?
発行機の製造場所なんて考えたことももなかったなぁ。
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# by choyushi | 2011-02-10 10:05 | 日記 | Comments(1)
液晶画面の向こうには
浜崎あゆみさんに暴言したファン、ツイッターでフルボッコに

このニュースとは直接関係ないことですが、
最近考えていたことが浮き彫りになった形なので
自分の覚え書きとしても書いておきたいと思います。

会話は人下と人間をつなぐコミュニケーション。
そしてそれの延長線上にあるインターネットというのは
さらに遠くの人とも意思疎通出来る素晴らしい道具だと思います。

知るはずの無かった方と知り合え、
マイナーな趣味でも分かち合う友を得(笑)、
人生の伴侶すら見つけ出すことが出来ます。

その一方で、考えなしに暴言を吐き、
人を不快にさせ、自らも敵を作ってしまう人がいます。

この人も、オフラインの身内だけで、それも口頭だけで
「こないだあゆに音楽関係の話つぶやいたのに返事くれないのーチョームカツクー」
と愚痴でもすれば、こんなことにはならなかったはずです。
そして次の日には何も無かったかのようにあゆのファンを続け、
つぶやき続けたのだと思います。

何がいけなかったのかと言うと、
ちょっとした想像力と、配慮が足りなかったということでしょう。
それは日頃の人間関係ですら実行するのが難しい事でもあります。
この言葉を言ったら傷つくんじゃないか、他に言い方は無いのか、
タイミングはどうか、電話の方が良いのか手紙が良いのか…
常に色々考えつつ、私たちは発言し、相手との意思疎通を図っているはずです。

インターネットだと、気軽であるとか、相手が見えないという理由で
その辺の配慮が疎かになってしまいがちです。
オフラインでしっかりした人でも、その辺のことを忘れてしまう人がいます。
特にmixiなどのSNS系は「表示範囲に守られている」という意識が働くのか
痴話げんかや鬱日記、果ては殺人予告までしてしまう始末です
(殺人予告をするマイミクはいないので、そういう人が表示範囲を設定しているのか
全体表示にしているのかは知りませんが…)。

ネットに書き込んだ以上、それは半永久的にそこに留まり、
どこまでも無限に広がる可能性を含んでいます。

例えば私が今ここでダウナーな内容を書いてしまえば、
それは来年にも再来年にも残り、遠い未来で見た読者の人に
「こいつはこんなことを考えているのか」と思われてしまっても仕方が無いのです。
後に改心して、そんな気持ちをなくしてしまったとしても。
仮にその書き込みを消したとしても、誰かがデータを復活させたり、
スクリーンショットやコピーを残しておいたりしたら…。

ツィッターやつぶやき機能により、私たちはさらに気軽に
インターネットで発言をするのが容易になりました。
それはしかし、決して自分の発言に責任を持たなくていいということではなく、
さらに気をつけて自分の発言を見直さなくてはいけないということに他なりません。

昔、ビートたけしさんが事件を起こしたとき、
タモリさんに報道陣が「何と声をかけるのか」質問した所
「友達なんだから話すことは直接会って話す。個人の会話を、校内放送するつもりは無い」
というようなことを言ったそうです。
まさにその通りで、実はTVもネットも変わらないのです。

「今日マジ鬱」「あたまいたーい」「○○にこんなことされた。死ねば良いのに」
そんなことを、自分では限られた範囲の人間に言ってるつもりでも、
本当はメガホンを持って、町中に叫んでいるのと同じことなのです。
そういった想像力をちょっと働かせて、自分の発言が不特定多数の人間に
どう映っているのか、一度立ち止まって考えるクセを付けることが必要だと思います。


ちなみに、私はこんな糞真面目なことを、糞真面目な文体で語っていることを
リアル友に見られたらと思うと恥ずかしくて仕方ありません(*ノノ)(←ダメじゃん)
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# by choyushi | 2010-09-30 18:34 | ニュースに発言 | Comments(0)
相変わらず残念な造型ですね
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タコのおもちゃ引っ張りダコ、W杯予想のパウル人気で=北京

小学生の落書きかよ。
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# by choyushi | 2010-07-15 12:10 | ニュースに発言 | Comments(0)
茶番だな
東京で「離婚式」、共同作業で結婚指輪つぶす(ロイター) - エキサイトニュース
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結婚指輪なんかどうでも良いから、
友人達に結婚式の時いただいたご祝儀を返すとかしたら?


本文
[東京 21日 ロイター] 日本の離婚件数が増えるなか、東京・浅草にある浅草寺で20日、親族や友人の前で夫婦生活の終わりを宣言する「離婚式」がとり行われた。

 セレモニーを手掛けたのは、昨年4月に「離婚屋敷」を設立し、「日本初の離婚式プランナー」を自称する寺井広樹さん。

 式典では参列者が見守るなか、離婚する夫婦が最後の共同作業として、自分たちの結婚指輪を「変える」にちなんでカエルの顔をあしらったハンマーでたたきつぶした。

 費用は5万5000円。寺井さんによると、これまでに約25組が同様のセレモニーを行ったほか、900件を超える問い合わせが寄せられている。

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# by choyushi | 2010-06-22 11:25 | ニュースに発言 | Comments(0)
かわいい
中国で「パンダ柄」のチャウチャウ犬が登場(ロイター) - エキサイトニュース
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 [鄭州(中国・河南省) 8日 ロイター] 中国・河南省にある動物公園で8日、パンダのように染められたチャウチャウ犬がお目見えした。地元メディアによると、この動物公園は来園者を楽しませることを目的に、4匹のチャウチャウ犬のほか、「トラ柄」に染められた1匹のゴールデンレトリバーも購入したという。


これぞ本当の客引パンダ?

って、いっぱいいる!
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# by choyushi | 2010-06-09 12:18 | ニュースに発言 | Comments(0)
全部の世話出来んのかね?
ブラジル南部に捨て犬や捨て猫の「スラム街」 | Excite エキサイト

スラムというから犬猫の無法遅滞みたいになっているのかと思いきや、
律儀に1匹1個の犬小屋が造られててビックリした。
なかなかクレイグ・グラントさんの猫の町のようなことはできないもんだね…
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# by choyushi | 2010-05-26 18:32 | ニュースに発言 | Comments(0)
オリンピックならぬパクリンピック
上海万博マスコットにもパクリ疑惑、米国キャラに「生き写し」

…なんてくだらない駄洒落はいいとして、
なんでマスコットに先行者を使わなかったのか
それが残念でなりません。
あれこそ世界に誇る
頼まれてもパクろうと思われない
オリジナルデザインだったのに…
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# by choyushi | 2010-04-21 15:23 | ニュースに発言 | Comments(0)
服装ぐらい・・・
「国母騒動はイジメ」 ホリエモンが服装原理主義批判

「会見で肩肘ついて話したとか言われてまた文句言われてる。もうさ高校球児とかじゃないんだからさ。そんなんで文句言うなよな。ていうかイジメでしょこれって」と騒ぎを批判した。


常識のある社会人に言わせたら

「もうさ高校球児とかじゃないんだからさ。
服装ぐらいちゃんとしろよ。
今までどういう教育受けて生きて来たんだよ。
その年でそんなんだったら
これから先の人生大変だよ」

ってことだと思うんだけどね。


ただこの件に関しては、
「ふさわしくないと思うんならそもそも
選手として選ぶなよ」と思う。
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# by choyushi | 2010-02-16 19:16 | ニュースに発言 | Comments(2)