<   2015年 02月 ( 8 )   > この月の画像一覧
KKP#006 TRIUMPH(2010-12)
※ネタバレの内容を含みます。ご注意ください。
鑑賞日記についての諸注意

「トライアンフ!僕は君にも魔法をかけたぞ!」

コント + イリュージョン = コンティリュージョン だそうです。

この作品は賛否両論ですね。
そしてどれも理解出来ます。

でも「否」の意見のほとんどは、名作『TAKE OFF』の後だったという不幸が一番の原因な気がします。
あれと同じのを望むのは酷ってもんだ…。
あと、今回のお話は舞台的にも「絵本」のようなものだったので、大きなお友達には物足りなく映ったのかもしれない。『うるう』と同じ頃なら違和感なかったかも。

「説教臭い」という感想もありましたが、これから後のKKPはむしろそれが標準路線になっていってますね。
実際、良い事言ってると思います。
「生まれつき才能のある人や環境の整っている人だけが成功できるってあなた言ったわよね。
それ、はっきり言って違うから。確かにお金持ちでその上に大成功を収めている人はいるわ。
でもその人がそこにいるのは、恵まれていたからじゃない。その人が頑張ったからよ!」
「誰かに何かしてもらおうなんて思ってる奴は、誰にも何もしてやれない」
「結果が出るまでの時間は人によって違う。大事なのは、このひまわりが生きるのを止めなかったということだ」

ただなぁ…。
これはやっぱり小林賢太郎が女性の造形が苦手なのだと確信するところなんですが、森谷ふみさん演じるメイドさんの口が悪い。「お前」て。「貴方」かせめて「あんた」でしょ。カフカに対して色々指摘するのは良いんですが、「まず自分の口の聞き方どうにかしろ」と思ってしまいました。

さて、今回のお芝居の最大の特徴である「マジックショー」ですが。
芝居、コントに乗せてマジックをする。これはなかなか大変だと思います。
何故かというと、マジックショーはテンポが命だから。もたもたしてると「その間にネタを仕込んでるんでしょ?」とバレる。ネタは分からなくても、とにかく「種も仕掛けもあるんだろうな」と思われてしまう。マジックなんだから種も仕掛けもあるのは分かりきっているけれど、それでもなお「種も仕掛けもないように見える」のがマジックの醍醐味なのですから。
でも、じゃあ、マジックショーのテンポでお芝居をすれば良いかと言えばそういうわけでもない。早すぎれば今度は「芝居を把握」できなくなってしまうから。
ポツネンなどに見られたような、要所要所でポイントを縛った手品なら巧く出来たでしょう。でもきっと、もっと大きなイリュージョンを使ってみたかったんでしょうね。

そんなわけで、多くの人が指摘している「芝居としてもマジックショーとしても中途半端だった」のは一理あると思います。
でも、だ。今回の芝居を経験値として、いつかもっと完成度の高いコンティリュージョンを作り上げそうな気がする。小林賢太郎には、客にそう思わせる期待感がある。
つうか、今10作目を発表した後でこれを書いてるんですが、「ここはもっとこうだったら良いのに」とか「これってこうならなかったのかな?」というのを、後の作品でちゃんとやってる事が多々あるんですよね。実際、書割道楽は次の『ロールシャッハ』に活かされていたと思う。

観客がこれは芝居か?コントか?とやってる間に、小林賢太郎はさっさと次のステージに行ってしまうのではないか。
物語の中では小林賢太郎演じるカフカが「何やっても成果が出るのが遅すぎる」という設定でしたが、取り残されているのは我々かもしれませんよ。

***************************************

感想は以上ですが、
[PR]
by choyushi | 2015-02-13 15:09 | 作品鑑賞 | Comments(0)
KKP#005 TAKEOFF 〜ライト三兄弟〜(2006-7)
※ネタバレの内容を含みます。ご注意ください。
鑑賞日記についての諸注意


「3人いないと、テイクオフ出来なんだろう?」

多分KKP作品の中で一番好き。人にはそれぞれ好みがあるというのは分かっているけれど、これを嫌いと言う人とは仲良くなれそうにないな、的なw
起承転結がはっきりしていた事、キャラが立っていた事(掘り下げも見事)、無駄な小道具が一切ない事(一つ一つに物語があった…)、舞台を縦横無尽に使い切った事、そして何より、演出が素晴らしかった。特にHAEが登場するシーン、飛び立つシーンは圧巻。
DVD的にも一番カメラ演出の良かった作品だと思います。

あと恥ずかしながら私は気付かなかったんですが、オリベの「俺が誰かを許さないと、俺は誰かに許してもらえないんだ」という台詞。
シノダはアビルたちに嘘をつき続けて来たけれど、オリベも妻に嘘をつき続けて子どもに大工の英才教育をしてたんですよね。してみると似た者同士なわけです。オリベがシノダを許さないでどーするって事ですよね。
そして最後はオリベも嫁に許されました…。うーん泣ける。

***************************************
[PR]
by choyushi | 2015-02-06 17:29 | 作品鑑賞 | Comments(0)
KKP#004 LENS(2004)
※ネタバレの内容を含みます。ご注意ください。
鑑賞日記についての諸注意


「天城といいます。天井の天に城と書いて天城」

KKP屈指の名作。
ミステリー好きには物足りない人もいたようだけど、基本的に舞台は一回こっきりしか見ない事を考えればこれで十分。それよりも軽快な対話とユニークな謎解きの方法で楽しませてくれる。

小林賢太郎は、今まではプロデュース公演という事で遠慮していたのが、今回椎名林檎の作品からのスピンオフということで解禁したって感じかな? 主役が一番格好良くないといけないのに(観客からも、探偵は謎を解くというのを求められるわけだし)、素直にその場面に持っていかず、「さぁそろそろ…」と言いながら逃げたり推理が外れてたりといったシーンの挿入の方法が巧い。おかげで、最後の謎解きが嫌みなく見れた。

さて、前回『PAPER RUNNER』で適材適所の話をしたが、今回の話をそれに当てはめてみる。
まずは探偵、謎を解く人。この人がいないと始まらない。天城茎太郎(小林賢太郎)がそれだ。
次に依頼者。これはこの話では警部である駒形蓮司(大森南朋)が担当している。
そして犯人である犬飼梅衛門(犬飼若浩)。

基本的にこの三人がいれば「謎解き」という物語は完成する。
後の二人はトリックスターだ。しかしもちろん重要な役が割り当てられている。

この手の「限られた人間しか出てこない謎解き劇」では、一人一人が何らかの理由で疑われるシーンが必要となってくる。
お互いを疑い、疑われ…というシーンは、登場人物に遺恨を残す。しかし、この中で唯一の部外者である車夫の愛宕屋駿菊(西田征史)がそのシーンを一手に担う事で、お互いが疑心暗鬼に陥る嫌なシーンは回避されている。

これだけでは春日桜太(久ヶ沢徹)の役目はない。しかし、彼は最後に重要な台詞が用意されている。

「こいつが何を盗んだ。どんな詐欺でいくら儲けた。何を凶器に誰をどうした。俺には逮捕する理由がわからん!」

警部である駒形も行きずりの天城も駿菊も、もちろん犬飼自身も「犯人を逮捕しない」という結論に達する必然がない。
それが出来るのは、犬飼と2週間を過ごし、人間味のある(作中では「バカ」で表現されていたが…)警官である春日巡査だけなのだ。

うーんやはり巧く出来ている。前作から一段飛ばしに質が上がった気がする。

***************************************
[PR]
by choyushi | 2015-02-06 17:28 | 作品鑑賞 | Comments(0)
KKP#003 PAPER RUNNER(2004)
※ネタバレの内容を含みます。ご注意ください。
鑑賞日記についての諸注意


「プロになるということは、腹をくくるということでもあるんですよ」

面白い作品は「もうごちゃごちゃ言うつもりはないから、とりあえず観ろ!面白いから!」と言えるんだけど、そうじゃない作品はどうしてもあれこれ「面白くないと“感じる”原因」を考えてしまう。
そう、私が「面白くない」と感じているのはあくまでも「私の感性がそこにマッチしなかった」というだけのことであって、万人が私と同じように「面白くない」と感じるはず、とは思っていません。

また、「これは芝居だ」とか「コントではないので」みたいな考察をしている人もよく見かけるんですが、そういう理由ってどう意味があるのか分かりません。芝居だから面白くなくても良いというわけではないだろうし、笑いが起こらなくても「面白い」芝居は当然あるし、なにより小林賢太郎自体コントや芝居の枠を超えたものづくりをしているように見受けられるので、見てる方がその辺をくくっちゃうのはどうかな、とも思う。

さてPAPER RUNNER。
やっぱ最大の「面白くない理由」は、キャラクターに魅力がない事だと思うんです。
例えば主人公の渦巻。たまに良いことを言うけど、基本的にイライラする言動が目立ちます。トマトと西が渦巻に共感する理由がさっぱりわからない(「あの人何も教えてくれない…」と羆にお願いするシーンの方が共感出来る)。
正社員への登用を断るシーンも、1回だけならまだしも2回も繰り返すと「もういいよお前いらない」って気分になる。いくらラッキーボーイだからってねぇ…
それとヒロインのマチ。ラブコメといえば主人公と喧嘩ばかりだけど、本気で喧嘩しちゃいかんと思う。ラブコメの喧嘩の基本は、本人たちがどうであれ、周りから見たらいちゃついてるようにしか見えないことなんだから。
だからマチが「ごーらー!」って怒鳴るシーンをあれだけ怖く描いてしまったらダメなんだ。「あぁん!?」ってすごませたらダメでしょ。怖いし…。

もう一人の主人公トマトや、「主人公のライバル」羆はこの二人ほどではないが、感情移入しにくいキャラクターなのは同じ事だ。マチに好かれたいならもっと他にやり方あるでしょ…。
トマトはまだ観客に近い立ち位置だが、イマイチ魅力に欠ける。
その他のキャラクターは可もなく不可もないのだが、そうすると「何のためにいるのかよくわからない」。
この作品はそもそも「漫画のセオリーにキャラクターを当てはめる」という手法で描かれているのだが、空いてるポジションにキャラクターを挿入しただけで必然性が感じなくなってしまっている。これなら全編アドリブの方が良かったかもしれない。

しかし逆に、これ以降のKKP作品では適材適所に人物が配置され、無駄がなくなっている。この辺は小林賢太郎自身もそう感じていたのだろうか?だとすれば私がここであれこれ書くのは愚の骨頂以外何物でもないが、そもそもそんな事は最初から分かりきって書き始めたので最後まで書く。

劇中、中盤くらいにトマトが「これは編集部で起こってる出来事なんです!」と漫画を完成させるが、いっそのことこれを落ちに持って来た方がよかったのではないか。実は私たちが見ていたお芝居は、漫画の世界のお話だったのだ!みたいな。
って、それって後の某作品に反映されることになるんだろうか。
うーん、結局これって小林賢太郎の試作ってこと?

ところで、前2作で個性的なしゃべり方だった村岡さんが、今回は普通だった。これは個性的な渦巻と差別するためか?いずれにせよ、編集長がしっかりした人物(考え方もしゃべり方も)として描いたのは良かったと思う。これで編集長まで鬱陶しかったら、さらに魅力半減だったろう。

***************************************
[PR]
by choyushi | 2015-02-06 17:27 | 作品鑑賞 | Comments(0)
KKP#002 sweet7(2003)
※ネタバレの内容を含みます。ご注意ください。
鑑賞日記についての諸注意


「僕が今まで食べたケーキの中で、一番、特別だった」

これ、何気に一番長いんですね。日付がカウントされるから、「後どれくらいで終わる」ってのが予想出来るので、あまりそう感じなかったけど。
iPodで仕事帰りに旦那と一緒に見てたら、「日付ごとに区切られてるから、短く細切れで見れるのがいい」と言われました。なるほど、そういう考え方もあるのかw(もちろん最初は通しで見ましたよ)

7日間も休んで全然何も進まないんだけど、毎日同じような事をしているようで徐々に人間関係や状況が変わっていく様は見事。
次の作品『PAPER RUNNER』に比べても、各々の持ち味を活かした配役で良かったと思います。

さて、この作品一番の謎だった「ナッペ」のシーンなんですが、あそこどうも収録日「だけ」失敗したみたいですね。おかしいと思ったんだー…
しかし返す返すも惜しい。だってこのシーンがなかったら、毛利の見せ場がないじゃないですかやだー(パソコン技術はすごかったけど、やっぱりケーキのシーンが重要でしょう)
ところで「まともなケーキを20年作ってない」新井役の久ヶ沢徹さんは実際は調理師免許を持ってるそうです。料理とケーキでは違うかもしれないけど、いっその事新井が最後まで仕上げても良かったんじゃないかw
[PR]
by choyushi | 2015-02-06 17:26 | 作品鑑賞 | Comments(0)
KKP#001 good day house(2002)
※ネタバレの内容を含みます。ご注意ください。
鑑賞日記についての諸注意


「グッデイハウスは良いハウス!」(2002)

youtubeで3floorを見てDVDを買った作品。
カフェ、学習塾、絵画展、大家の部屋と、各階に工務店の従業員である片桐仁が見積もりのために訪ねては色んな問題に首を突っ込んでいく…という構図。全体的にはコントをつないでお芝居にしたような感じ。『CLASSIC』を色んな人でやってみた的な。
3floorの面白さが特出してて他がちょっと物足りないんだけど、それ以外では4floorのおっかさんと2floorの塾長が特出して面白かった。と思ったら、この二人は同じ劇団の人なんですね。その後登場する久ヶ沢徹さんも同じサモ・アリナズのメンバー。小林賢太郎と相性のいい劇団なんでしょうか。

***************************************
[PR]
by choyushi | 2015-02-06 16:55 | 作品鑑賞 | Comments(0)
鑑賞日記についての諸注意
先日からDVDの鑑賞日記を書いているが、こういう物を書くと避けて通れないのが「もっとこうしたら良いのに」という感想だ。
いや、わかっている。書かなければ良いのだ。書けば書くだけ恥さらしなのは分かっている。だけど書かずにはいられないのだ。不満だから?いいや違う。本当に不満でつまらないと思った作品には感想など書かない。では何故か。人に言われる前に自分で言おう。自分の醜い嫉妬心のためだ。ああ言っちゃった。

私も曲がりなりにもデザイナーという仕事についている以上、「0から作り上げる」というのがどれだけ困難な作業かわかっている。そして、「出来上がった物にケチを付けるだけなら誰にでも出来る」ということも。それでも言ってしまうのは、自分が「0から作り上げられないからだ」そもそも作り上げる事が出来る人は、人の事をごちゃごちゃ言う前に自分で作る。当たり前か。

第一、だ。私は芝居をDVDで見て感想を書いている。これがそもそもの間違いで、基本的に芝居は劇場で見て楽しめるように作られている。決して、部屋で一人でカメラワークに振り回されてみるようなものではないのだ。
芝居には芝居の、映像には映像の「文法」というものがある。そこから逸脱した物が、必ずしも演出家や役者や舞台監督の意図したものとリンクするとは限らないのである。そこからしてああだこうだ言うのは筋違いなのである。

それでも書いてしまう理由は、先ほど述べた通りである。
通りであるがしかし、少し綺麗な言い方もさせてほしい。
それは「夢想」だ。あ、いや「妄想」でもかまいません。
しかし、自分もそれを作る事に関わっているとう夢想を一瞬でも味わいたい。
それが、分かっていても恥知らずでも、あれこれ言っちゃう心理なのではないだろうか。

恥さらしなのに変わりはないですけどね。

というわけで、もし関係者が何かの間違いでこの場末ブログの感想を見ても、あんまり気を悪くしないでいただきたい。作り上げ、形にしているというだけですごい事だと思うから。デザイナーの片隅に籍を置く人間が、負け惜しみを言っていると理解していただければ幸いです。


***************************************

以下追記。あるいは蛇足。

「文法」についてもう少し詳しく書こう。
この世の中は、一定の法則に基づいて機能しているわけではない、ということもある。
つまりはどういうことかというと、例えば英語があったり日本語があったり、同じ物を表現していても、表現する方法が変われば全く理解出来ないという事もある、ということだ。

具体的に書こう。
例えば貴方がフランス語を知らないとする。
では「バトー」はなんという意味か分かるだろうか。

答えは「船」だ。貴方は当然「船を知っている」はずである。にもかかわらず、それを理解する事が出来ない。
逆に言えば、その言葉を知っていれば理解も可能という事だ。

芝居や映画、小説、漫画…色んな物にそれ特有の文法がある。
それを知らなくてもある程度は楽しめるが、ほとんどは知らなくても楽しめる。でも知っていればもっと楽しめるし、そもそもその文法を知らないと理解すら出来ないものもある。
(そういえば、少女漫画は外国人や男性では読めない人もいるそうです。コマが時間軸で配置されていないからとか…。これも、私たちが自動的に文法を理解しているから読めるということでしょう)

お芝居や物語の感想を、ぼろくそにけなす人がいるとする。
果たしてそれは、作品がつまらないからなのか?それとも、本人が文法を理解していないからなのか?
私は断然後者の理由によるものだと思う。しかし、本人は絶対にそれを認めないし、そもそも気付きもしない。

先ほどの例えで言うなら、どんなに素晴らしいスピーチをフランス語で聴かされても、フランス語を理解しない人間からすれば意味不明の、人によっては雑音でしかない、ということだ。
では、「あれは意味不明だから駄作だ」という人を見てなんと思うだろう。

その人の勉強不足を笑うだけだ。

「この作品は駄作だ!」と言う人はそう切り捨てる前に、自分の好み、主義主張から一歩引いて、「この作品の面白いところはどこか」を探ってみる事をおすすめする。
誰かが情熱を注いで、誰かを魅了した作品なのだ。自分が気付いていないだけかもしれない。それはとてももったいない事だと思うから。


***************************************

さらに蛇足。
[PR]
by choyushi | 2015-02-06 16:03 | 作品鑑賞 | Comments(0)
劇場版パトレイバー三部作
※ネタバレの内容を含みます。ご注意ください。
鑑賞日記についての諸注意

劇場版になったからといって「三部作」とひとくくりにしていいものか、という気持ちはあるが、先日ひょんなことから3作を立て続けに見た経緯もあり、そう呼ぶ事にする。
そして、3作立て続けに見たから感じたであろう感想も書いていく事にする。

とはいえ、1、2に関して語る事はない。
この作品は当時(そして今でも)最高傑作の作品であり、今更私が何か言うべき事はなにもないからだ。多くの人がこの作品に対して感想、考察を上げており、私はそれ以上の事を取り上げる自信はない。

で、ファンからも賛否両論(どちらかというと否)ある3作目だ。
地味。とにかく地味。1作目も(TV版やOVA版に比べたら)地味だが、2作目はさらに地味さに拍車がかかり、そして3作目に至っては戦闘シーンが俯瞰という地味に輪をかけた演出のおかげで、さらに地味になっている。今回1から順に見ていったおかげで、なんとか鑑賞には耐えたが、本当にこれをパトレイバーを期待して劇場に行った人は辛かった事だろう。

さて、先ほど「賛否両論(どちらかというと否)」と書いたが、決してこれはこの作品が駄作だと言いたいわけではない。
脚本、演出、映像、そのどれをとっても一流の出来であったと思う。漫画が少年誌に載っていたわりにはいささか大人じみた感はあるが、それはまぁ前2作(以後、押井作品とする)の時からそうだった。
にも関わらず、押井作品にあってこの作品にないものがある。

それは 面白さ だ。

結論から先に書こう、なぜ面白さがないのか。それは作った人間が無能だからではない。能力は関係ない。
関係あるのは心だ。といっても、押井作品に心がこもってるというわけではない。むしろ逆だ。
3の製作陣はこの作品を愛している。それが作品をダメにした原因だ。


愛、思い入れ、情熱、そういったものが作品をダメにする。
それはもちろんこのスタッフ陣だけにいえることではない。押井守だって、自分が好きに作った作品は大体佳作、もしくは駄作だ。そしてそれは、クリエイターなら誰にでもそういうところがある。歯止めのかからない作品はアートになる。それは一般受けせず、精神世界の中に埋没してしまう。簡単に言えば、「まぁこういうのもアリだよね」という肯定的意見以上のものは得られない、ということだ。

現に3の評価として「良い」という人の大半の意見は「映画としてはあり」とか「こういうのもアニメ映画には必要」といった消極的なものばかりだった。
押井作品には「押井ばりの説教臭さ」とか「押井守の戦争論」や「押井が好きな難解さ」が多分にあったにもかかわらず、「面白さ」は失われていなかった。

何故か?
私はその理由を、「多くのアニメファンが押井守が嫌いな理由」にこそあると思っている。


押井守と聞いて「あの人の作品面白いよね!」と言う人と「ああ、押井守ね…」と顔を引きつらせる人の二種類がいる(作品がつまらない、とは言わない)。
顔を引きつらせる理由は様々だろうが、そういう人たちの苦言を一言で言うなら
「あの人、大人げないよ」ってことに集約される気がする。
すごいわかる。私もそう思う。
でもある意味「すごく“大人”だな」とも思う。この矛盾をどう説明しようか。

押井守は、「働く大人」なんだろう。しかし、普通の働く大人と違う所は、言いたい事を行っちゃう事。これは日本のサラリーマンでは考えられない。言いたいことを言わないから不正労働でも文句は言えないし、サービス残業だってしちゃうし、身体を壊して自殺する。それが日本のサラリーマン。なのに、このおじさんは言いたい事をズバズバ言っちゃう。そりゃあ反感も買うわ。

多くの人の認識において、監督とは作る人、クリエイターに属すると思われる。しかし、多くのクリエイターが「職人」なのに対し、押井守はその対極の「仕事人」(この名称が正しいかどうかは分からない)であると思う。
職人はひたすら自分の仕事に邁進する。そのための努力は惜しまない。
しかし押井守はどうかというと、自分のしたい事のために「この仕事はつなぎ」と冷静に切り捨てる事が出来る。そりゃあ、その作品を愛してる人間からすれば反感の一つも持ちたくなる。

そんな(傍目には)いい加減なスタンスでありながら、作る作品は面白い。だからこそ反感を買うんだろう。面白からそれは認める、でも本人は認めたくない。だから作品が面白くないとは言わないが、代わりに顔が引きつってしまう。
私としては、出来上がった作品が良ければ作った人間の心理なんてどうでも良いと思うが…ま、「嗜好品」だからそうもいかないんだろう。
だから、押井守を面白い!と言う人は単純にその映画そのものを楽しんでいる人、顔が引きつっちゃう人は、その作品を「愛してる人」なんだろう。


さて、先ほど私は3の脚本も演出もよかったが…と書いたが、どう考えてもダメだったところがある。
これは「1、2の面白さ」にもつながると思うが、「リアルすぎる」ところである。
パトレイバーは、もともと日常生活に巨大ロボットが出たらどうなるか、というシミュレーションから発足したプロジェクトなので、日常をリアルに描くのは正しい。
しかし、パトレイバーの世界はあくまでも近未来のはずだ。
よく言われる「携帯がない」とかいうのは些末なことだ。これはもう、当時なかったものを予測して出すのはどうしたって限界がある。問題はインターフェースだ。

3で、パソコンにダウンロード画面が登場するシーンがある。思いっきり当時のパソコン画面とそっくりだ。
翻って1、2はどうか。まだCGがない時代、頑張ってそれっぽい、いわゆる「SFっぽい画面」を登場させていた。2のしのぶ隊長の車での会話なんかは印象的だ。フロントガラスに画面が表示されて、シゲさんと会話してた。
当時も、今も、あんな装置はない。しかし、全く絵空事かと言われれば「ありそう」な装置。その当時考えうるぎりぎりの「近未来SF」を演出していた。

たとえ画面が地味でも、内容が渋くても、そういったインターフェースが視聴者にワクワク感を、面白さと提供すると思う。
見てる人間が「おおっ」と思う瞬間。それが「面白さ」に繋がるんではないか。
とにかく私はあのダウンロード画面を見たとき心底「がっかり」したのだ。

***************************************
[PR]
by choyushi | 2015-02-02 17:06 | 作品鑑賞 | Comments(0)