カテゴリ:作品鑑賞( 15 )
物語の仕組みのためならば倫理を無視しても良い、ということはない
忘れられない芝居がある。悪い意味で。
旦那と始めて行った芝居。三谷幸喜の『90ミニッツ』。
三谷幸喜の映画は好きだ。笑える、けど笑だけじゃなく、考えさせられるお話。ホロリもあるよ。
なので期待して行った。安くないチケット代をはたいて、ラーメンズやシティボーイズが好きな友人も誘って。
結果。
ひどいお芝居だった。
役者や演技は良かった。天井からしたたる水が子供の命を表現している演出も良かった。
やはり悪いのは台本だ。
そもそも、「90分以内に手術をすれば助かる」と、90分まるまる議論すること自体無理があると思う。それがこの芝居の根幹なのだから、そこを否定してはいけないのかもしれない。それを分かった上で(横に置いといて)楽しむべきなのかもしれない。それが分かってない人間は見る価値がないのかもしれない。
でも無理。子供の体はダメージを受けていて、そのダメージは刻一刻と子供の体を蝕んでいってる。物語のラスト、ようやく手術が始まるが、子供の脳にダメージがいっていたらどうするのだろう?と考えると、能天気に「よかったね」という気になれない。
幸いなのは、一緒にいった友人も同じ感想だったことだ。

しかしネットで調べてみると、ブログでは絶賛の嵐だった。
まぁ、面白くないと思った作品をわざわざレビューに書かない人も多いだろうし、それは仕方のないことかもしれない。
もしかしたら、絶賛している人のブログを読めば、私にもあの作品の魅力が分かるのかもしれない。
期待して色々読み込んでみたが、無駄だった。
どれも私が納得出来るような内容のものはなかった。
具体的な内容もなく「スリリングだった」とか「自分的には面白かった」というだけ。
中には「面白いとか面白くないとか関係なく、ただ観て良かった」という人もいた。こうなってくるともはや意味が分からない。
まぁ、「いい」と思うものに余計な言葉を加えたくないという気持ちも分かる。この人たちは本当に面白かったんだろう。よかったね。この中に「分かってるふりしてる自分かっこいい」と思ってる人がいないことを祈る。

さきほど、ブログでは賞賛の嵐と書いたが、当然私と同じようなことが気になった人も中にはいた。
http://moonshiny.exblog.jp/17549608/
http://www.kangekiroku.com/2011/12/parco90parco-6c.html
http://ponta.moe-nifty.com/blog/2011/12/90-53c0.html
私にはむしろこっちの人たちの意見の方が首肯できる。

もしかしたら、これはシリアスな芝居だったのかもしれない。
その上で、人間のエゴとかそういうものを暴きだそうとしたのかもしれない。
しかし、それなら全てのギャグ(それらしい演出)はいっさい排除すべきだった。
それが出来なかった時点で、三谷幸喜にシリアスな演出は無理だと露呈したような作品だ。

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by choyushi | 2016-01-29 11:38 | 作品鑑賞 | Comments(0)
『地獄のオルフェウス』観てきました。
『地獄のオルフェウス』観てきました。
こういういわゆる古典演劇って観た事なかったんですけど、一度は体験してみたかったんです。
で、今回久ヶ沢徹さんが出るという事で(多分端役だろうけど)、そのためだけに観に行ってきました。
そんな人は少ないらしく(当たり前)、周りの人たちは皆主演の人がどーとかで盛りあがってました。
すいません、芸能人に疎くて…

久ヶ沢さんの登場シーンは案の定少なかったんですが(ワンシーンだけ…)、でも固いお芝居の久ヶ沢さんが観れてよかったです。まぁ、前回の『最後のサムライ』も真面目な役だったんですが。

さて、『地獄のオルフェウス』とは1940年、アメリカの劇作家テネシー・ウィリアムズが上演した『天使のたたかい』を自ら17年間かけて改訂し、1957年に発表した戯曲。偏見と慣習に囚われた閉鎖的なコミュニティーを舞台に、愛のない結婚をして淡々と生きる女性レイディ・トーランスと自由な青年・ヴァルが出会い、ヴァルの存在によって徐々に人々の欲望が触発されていく様を描く。
なわけですが(コピペ!)、古典演劇の醍醐味とはその難解な内容を解釈していくのも楽しみだと思うんですが、評論家の解説は、「現代人にも不変な云々かんぬん…」で、どれもピンと来ない(そもそもどの辺が不変なのか、納得のいく内容を書いてる人がいない)。

と、いうわけで、私なりに勝手な解釈でこの物語を語ってみようと思います(1回しか観てないくせに大胆な)

この作品、ヒロインが3人いるようだ、と前評判で聞いていたので、三角関係とか四角関係とか、そんなんか?と思ったんですが、実際には町の女性がみな主人公ヴァルに惹かれる、という意味で、ヒロイン・レイディと、心が自由であるがゆえ町からつまはじきにされている女キャロル、そして保安官の奥さんヴィーが主人公を好きになる…というだけなんですね。しかも、この三人は皆知り合いではあるけれど、物語の中ではほとんど絡まない。特に、主人公に関する色恋沙汰ではかすりもしない。恋愛をモチーフにした作品にしては珍しいですね。
実際、キャロルらがいなくても、二人の愛憎劇は描けたはずです。では彼女たちは何のために存在したか?

キャロルは野生児のような娘です。自分の思うがままに生き、周りの目は気にしない。
黒人差別にも真っ正面から反対し、身を痛めつけてでも権力には屈しない。気高く野蛮な魂の持ち主です。
そしてヴァルにこう言います、「この町にいてはいけない。ここはあなたの住む場所じゃない。外に出て自由になるべきだ」と…
そんなキャロルをヴァルは遠ざけようとします。

一方、天の啓示を受けたと言ってがら絵を描き続けるヴィーには、傾倒にも似た感情を抱きます。
どちらも、言動はいささかまともには見えません。にもかかわらず、何故ヴァルはヴィーに惹かれ、キャロルは恐れるのか?

私は、この二人がヴァルの内面を表したキャラクターなのではないかと思うのです。

ヴァルは30になるまで旅を続けてきましたが、そろそろ一所に落ち着こうと考え、この町に来ました。
ヴィーは、町に佇み、神の声を聞き、敬虔な気持ちで生き続けたいと望むヴァルの心そのものです。
ヴァルはヴィーの話を聞いて、それが正しい答えだと、正しい答えはここにあるのだと思うようになっていきます。

一方、キャロルは自由を愛し、旅を勧めます。ヴァルがもう捨てたと言い張る、自由で気侭な旅の生活を。
キャロルは知っているのです。渡り鳥は死ぬまで渡り鳥。決して一所では生きていけない事を。いや、どんなにそれを望んでも、周りが許してくれない事を。
キャロル自身が、自由を求めた末に人々から拒絶され、正気を失う事をよぎなぐされた張本人なのだから。

最も、ヴィーも正気を失っています。それはしょうがない事なのです。地獄に生きる住人は、人を焼き殺して喜ぶ男たちのように鬼になるか、正気をなくした亡者になるしかないのだから…。

レイディも哀れな亡者でした。だから、鬼たちにいじめられるキャロルをかばい、店の中に入れてやり、物を売ってあげていました。しかし、久しぶりに現れた人間ーヴァルーによって、思い出すのです。自分がかつて人間だった事を。
その証が、お腹に宿った子供です。かつて失われた、人間だった頃の証。レイディは狂喜します。私は死神に勝った!

しかし、死神が一度首にかけた鎌を引くわけがありません。死神の凶弾に倒れたレイディ。
でも彼女は幸せだったかもしれません。人間のまま死ねたのだから。



…なんて適当な事を書いてみましたー。
まーこれ、ヴァルはとばっちりですよね。レイディが黙ってたらジェイブも起きてこなかったんじゃないの?とか。
でもレイディにとっては、あの時死んだ方がよかったと思いますけどね。生きて子どもを産んで、ヴァルと一緒になったとしても、ヴァルがもてるのは変わってない上に、レイディはぶっちゃけ女としては終わってるわけだし、そうすると絶対ケンカも絶えなさそう。子供も不義の子っていじめられそうだし…
暗い未来しか思い浮かばない!

ヴァルはキャロルの言う通り、町で落ち着くなんて夢を見ない方がよかったのかもしれないね。
足のない鳥は、死ぬ時しか地上に降りてこないんじゃない。
地上に降りたら殺されるだけなのだ。

さてー、そのキャロルなんですけど、私は一番好きなキャラでした。演じてた水川あさみさんがよかったですね。
ヒステリックでアクが強いキャラなのに、嫌みがない。たまに良い声で喋るからなのか?キャロルの純真さが表れていた気がします。自由の象徴である彼女が、同じくヴァルの象徴である蛇柄の服を持ってどこかに消えるのは、意味深なラストでした。
そういえば、作者のテネシー・ウィリアムズは実の姉が精神病にかかっていたそうです。同じく心の病を負ったキャロルの言葉は、テネシーにとって特別なものだったかもしれません。

逆にレイディの夫ジェイブはこーわかったですねー。
表れるだけで「あっ、悪役」と分かる迫力。ラストで拳銃を片手に出て来た時は「撃つ」と分かっていても「パーン!」ビクウッ!! 皆(私も含めて)一斉に飛び上がってましたw

そしてそのジェイブを看護する看護婦。第二の悪役って感じで小憎たらしかったですね(笑)
この人もちょっとおかしかったですよね。ジェイブがレイディの親を殺した告白を端で聞いていながら、「妻のくせに病気の夫を放っておくなんて」と「常識的な」不貞をなじる…
これでも、現代人によく見る人種だなと思いました。特にネット上に。自分の仕事さえこなしていれば、何を言っても許されると思ってる人種。常識的な善悪だけ振りかざしていれば物事はそれで済むと思っている人種…当人たちの事情は知ったこっちゃないくせに、手前勝手な正義を振りかざして得意面してる人種…。そして、それによって他人の人生を破滅に導いても、無自覚で無神経な人種…。
個人的にはこの人が一番怖かったです。

ジェイブの従兄弟は何のために出て来たのかイマイチ分からなかったなぁ。
ジェイブを心配するようなそぶりで、その実興味は「ジェイブが死んだら資産はどうなるのか」であるらしいんですが、ジェイブが実は皆に嫌われているという表現?
正直、キャロルの兄ディヴィッドもその役割はよくわかりませんでした…(^^;)。
レイディのくさびであるという事はわかる。過去の傷なんですよね。彼がこの町にいるから、町を離れられなかったとか?
「あの人が来ても店に入れないで!」と怒鳴ってた割に、引き止めて昔の話をするし…
ディヴィッドがレイディを振った理由もよくわかりませんしね。父も農園も失って、レイディが一文無しになったから、家族に反対されたとか? 何か裏はありそうですけど。少なくともレイディを嫌いになってとかじゃないんでしょうね。レイディとの事は、ディヴィッドにとっても大事な思い出みたいだったから。
…でも、元カレが出てくる理由が…よくわかんなかった…

古い演劇なんだから、もう少し考察があるかと思ったけどネットでも見つからないし、どっかに論文でも落ちてないかな。映画版を見たらまた何か分かるんでしょうか。


主演二人に関しては、特に言う事ないです。そればっかりは他のブログで書かれている以上の事は書けない。知識も、愛情も。
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by choyushi | 2015-06-17 09:44 | 作品鑑賞 | Comments(0)
『最後のサムライ』
市原隼人さん主演の『最後のサムライ』の千秋楽を見てきました。

思ったより言葉遣いや時代背景がしっかりしてたなぁという感じです。
若い人の舞台(作る側というより客層的に)というとその辺を凝ってしまうと
伝わりにくくなるのではしょったりする事が多いと思ったんですが、
まぁ最近は歴女とか、腐女子にも詳しい人多いですからね。

とはいえ、そんな人ばかりでもないので、
わからない人にも詳しく説明するためにいた人物が、
医者の先生だったと言う事でしょうか。

ソニンさんは初めて見ましたが、
遊女の癖のある喋り方などしっかり表現してて雰囲気出てました。

辻本さんは片言の役だと聞いてましたが、そんなに片言っぽくなかったですね。
ギャグではないので段々押さえるようにしたんでしょうか。
それでも、片言のシーンと流暢に喋るシーンと使い分けて、
時間軸の違いを表現していたのは上手い演出だなと思いました。

徳山秀典さんの殿は「この人になら付いていきたい」って思わせてくれる
いいお殿様でしたね。

藤尾勘太郎はすごかったですね。あれで28歳ですって!
声だけではなく、雰囲気も「旧体制にしがみつく老害」がよく表現出来ていました。
最後に意見が変わったのを指摘されて狼狽する芝居も良かったなぁ。


さて、この物語は主人公・河井継之助の「失敗」の物語です。
河井の目論みが上手く行っていたら、尊王派の侵攻が長岡、今の新潟県で止まっていたかもしれない。
そうすれば、河井は第二の坂本龍馬と呼ばれていたかもしれません。

では何故河井はその思いを達成出来なかったのか?

別に「こうすれば河井は成功した」という話がしたいのではありません。
河井はそれまで常に二手、三手を考え、一つ失敗しても立て直しが効くように配慮していた。
誠に聡明な人物であったと言えるでしょう。
それが何故小千谷談判は失敗したのか?

その理由は「山縣有朋か黒田清隆に直談判出来なかった事」
「代わりにいたのが岩村精一郎だったこと」だろう。

会談の際に、最高指揮官(その時は北陸道鎮撫総督府として
山縣と黒田が就いていた)と直接会談するのは基本。
それ以下の者が決定する事は出来ないし、あってはならない。
岩村精一郎なんてただの軍監、いわば中間管理職やしね。
戦闘を指揮するのが仕事であって、決して戦争に関する決定権はないわけで。
もちろん本当なら河井の意見、もしくは身柄は保留しておくべきなのだが、
それがなされなかったのも河井の不運でしょう。


なお、小千谷談判を台無しにした岩村精一郎は、
日本学者のドナルド・キーンにすら「無能で横柄な男」と評されている。
木戸孝允ら長州人も「キョロマ(軽率で無思慮という長州方言)」と言っていたそうな。
岩村自身、自伝でこの時の事を「途中で従うようになった
信州各藩の家老は平凡な人材ばかりで、河井についても
経歴・人物を知らなかったため、時間稼ぎをしているだけだと思った」
等と情けない言い訳を吐露しています。
今回の悪役として申し分ない人物だったと言えましょう。

ちなみに、山縣有朋が小千谷の新政府軍本営に着いた際、
岩村は贅沢な朝食を地元の娘に給仕させており、
激怒した山縣は土足のままその膳を蹴り上げたという逸話が残っています。
日露戦争のその時も「一介の武弁」を貫き通した山縣としては
そりゃ許せなかった事でしょう。

その山縣を演じた久ヶ沢徹さんは、今回も見応えのある演技でした。
最初はスネルの言動に翻弄される立場でしたが、岩村を叱責するシーン、そしてその後の
「斯く成る上は、勝たせてもらう」からの迫力は震え上がりました。
下座の席に座りたかった…


【出演】
市原隼人
徳山秀典 中村誠治郎 阿久津愼太郎 オレノグラフィティ(劇団鹿殺し) 
猪野広樹・小林豊(BOYS AND MEN)(Wキャスト) 山内圭輔(Wキャスト)
岡本玲 /辻本耕志(フラミンゴ) 永島敬三 藤尾勘太郎(犬と串)/久ヶ沢徹/ ソニン
ホリユウキ(犬と串) 萩原達郎(犬と串) 板倉武志(犬と串) 木村まこ 松本優希


【スタッフ】
脚本:岡本貴也
演出:イヴァン・キャブネット
企画・製作:メディアミックス・ジャパン

【公演日程】
劇場:天王洲 銀河劇場
2015年3月4日(水)〜3月15日(日) ※全16公演

チケット代、S席で8,500円。高いっ!
でもバレンタイン&アメスタ特典で購入して7,500円にしました。
ありがたや。ちゃんと公式はチェックしておくべきやね。


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by choyushi | 2015-03-17 16:16 | 作品鑑賞 | Comments(0)
KKP#006 TRIUMPH(2010-12)
※ネタバレの内容を含みます。ご注意ください。
鑑賞日記についての諸注意

「トライアンフ!僕は君にも魔法をかけたぞ!」

コント + イリュージョン = コンティリュージョン だそうです。

この作品は賛否両論ですね。
そしてどれも理解出来ます。

でも「否」の意見のほとんどは、名作『TAKE OFF』の後だったという不幸が一番の原因な気がします。
あれと同じのを望むのは酷ってもんだ…。
あと、今回のお話は舞台的にも「絵本」のようなものだったので、大きなお友達には物足りなく映ったのかもしれない。『うるう』と同じ頃なら違和感なかったかも。

「説教臭い」という感想もありましたが、これから後のKKPはむしろそれが標準路線になっていってますね。
実際、良い事言ってると思います。
「生まれつき才能のある人や環境の整っている人だけが成功できるってあなた言ったわよね。
それ、はっきり言って違うから。確かにお金持ちでその上に大成功を収めている人はいるわ。
でもその人がそこにいるのは、恵まれていたからじゃない。その人が頑張ったからよ!」
「誰かに何かしてもらおうなんて思ってる奴は、誰にも何もしてやれない」
「結果が出るまでの時間は人によって違う。大事なのは、このひまわりが生きるのを止めなかったということだ」

ただなぁ…。
これはやっぱり小林賢太郎が女性の造形が苦手なのだと確信するところなんですが、森谷ふみさん演じるメイドさんの口が悪い。「お前」て。「貴方」かせめて「あんた」でしょ。カフカに対して色々指摘するのは良いんですが、「まず自分の口の聞き方どうにかしろ」と思ってしまいました。

さて、今回のお芝居の最大の特徴である「マジックショー」ですが。
芝居、コントに乗せてマジックをする。これはなかなか大変だと思います。
何故かというと、マジックショーはテンポが命だから。もたもたしてると「その間にネタを仕込んでるんでしょ?」とバレる。ネタは分からなくても、とにかく「種も仕掛けもあるんだろうな」と思われてしまう。マジックなんだから種も仕掛けもあるのは分かりきっているけれど、それでもなお「種も仕掛けもないように見える」のがマジックの醍醐味なのですから。
でも、じゃあ、マジックショーのテンポでお芝居をすれば良いかと言えばそういうわけでもない。早すぎれば今度は「芝居を把握」できなくなってしまうから。
ポツネンなどに見られたような、要所要所でポイントを縛った手品なら巧く出来たでしょう。でもきっと、もっと大きなイリュージョンを使ってみたかったんでしょうね。

そんなわけで、多くの人が指摘している「芝居としてもマジックショーとしても中途半端だった」のは一理あると思います。
でも、だ。今回の芝居を経験値として、いつかもっと完成度の高いコンティリュージョンを作り上げそうな気がする。小林賢太郎には、客にそう思わせる期待感がある。
つうか、今10作目を発表した後でこれを書いてるんですが、「ここはもっとこうだったら良いのに」とか「これってこうならなかったのかな?」というのを、後の作品でちゃんとやってる事が多々あるんですよね。実際、書割道楽は次の『ロールシャッハ』に活かされていたと思う。

観客がこれは芝居か?コントか?とやってる間に、小林賢太郎はさっさと次のステージに行ってしまうのではないか。
物語の中では小林賢太郎演じるカフカが「何やっても成果が出るのが遅すぎる」という設定でしたが、取り残されているのは我々かもしれませんよ。

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感想は以上ですが、
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by choyushi | 2015-02-13 15:09 | 作品鑑賞 | Comments(0)
KKP#005 TAKEOFF 〜ライト三兄弟〜(2006-7)
※ネタバレの内容を含みます。ご注意ください。
鑑賞日記についての諸注意


「3人いないと、テイクオフ出来なんだろう?」

多分KKP作品の中で一番好き。人にはそれぞれ好みがあるというのは分かっているけれど、これを嫌いと言う人とは仲良くなれそうにないな、的なw
起承転結がはっきりしていた事、キャラが立っていた事(掘り下げも見事)、無駄な小道具が一切ない事(一つ一つに物語があった…)、舞台を縦横無尽に使い切った事、そして何より、演出が素晴らしかった。特にHAEが登場するシーン、飛び立つシーンは圧巻。
DVD的にも一番カメラ演出の良かった作品だと思います。

あと恥ずかしながら私は気付かなかったんですが、オリベの「俺が誰かを許さないと、俺は誰かに許してもらえないんだ」という台詞。
シノダはアビルたちに嘘をつき続けて来たけれど、オリベも妻に嘘をつき続けて子どもに大工の英才教育をしてたんですよね。してみると似た者同士なわけです。オリベがシノダを許さないでどーするって事ですよね。
そして最後はオリベも嫁に許されました…。うーん泣ける。

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by choyushi | 2015-02-06 17:29 | 作品鑑賞 | Comments(0)
KKP#004 LENS(2004)
※ネタバレの内容を含みます。ご注意ください。
鑑賞日記についての諸注意


「天城といいます。天井の天に城と書いて天城」

KKP屈指の名作。
ミステリー好きには物足りない人もいたようだけど、基本的に舞台は一回こっきりしか見ない事を考えればこれで十分。それよりも軽快な対話とユニークな謎解きの方法で楽しませてくれる。

小林賢太郎は、今まではプロデュース公演という事で遠慮していたのが、今回椎名林檎の作品からのスピンオフということで解禁したって感じかな? 主役が一番格好良くないといけないのに(観客からも、探偵は謎を解くというのを求められるわけだし)、素直にその場面に持っていかず、「さぁそろそろ…」と言いながら逃げたり推理が外れてたりといったシーンの挿入の方法が巧い。おかげで、最後の謎解きが嫌みなく見れた。

さて、前回『PAPER RUNNER』で適材適所の話をしたが、今回の話をそれに当てはめてみる。
まずは探偵、謎を解く人。この人がいないと始まらない。天城茎太郎(小林賢太郎)がそれだ。
次に依頼者。これはこの話では警部である駒形蓮司(大森南朋)が担当している。
そして犯人である犬飼梅衛門(犬飼若浩)。

基本的にこの三人がいれば「謎解き」という物語は完成する。
後の二人はトリックスターだ。しかしもちろん重要な役が割り当てられている。

この手の「限られた人間しか出てこない謎解き劇」では、一人一人が何らかの理由で疑われるシーンが必要となってくる。
お互いを疑い、疑われ…というシーンは、登場人物に遺恨を残す。しかし、この中で唯一の部外者である車夫の愛宕屋駿菊(西田征史)がそのシーンを一手に担う事で、お互いが疑心暗鬼に陥る嫌なシーンは回避されている。

これだけでは春日桜太(久ヶ沢徹)の役目はない。しかし、彼は最後に重要な台詞が用意されている。

「こいつが何を盗んだ。どんな詐欺でいくら儲けた。何を凶器に誰をどうした。俺には逮捕する理由がわからん!」

警部である駒形も行きずりの天城も駿菊も、もちろん犬飼自身も「犯人を逮捕しない」という結論に達する必然がない。
それが出来るのは、犬飼と2週間を過ごし、人間味のある(作中では「バカ」で表現されていたが…)警官である春日巡査だけなのだ。

うーんやはり巧く出来ている。前作から一段飛ばしに質が上がった気がする。

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by choyushi | 2015-02-06 17:28 | 作品鑑賞 | Comments(0)
KKP#003 PAPER RUNNER(2004)
※ネタバレの内容を含みます。ご注意ください。
鑑賞日記についての諸注意


「プロになるということは、腹をくくるということでもあるんですよ」

面白い作品は「もうごちゃごちゃ言うつもりはないから、とりあえず観ろ!面白いから!」と言えるんだけど、そうじゃない作品はどうしてもあれこれ「面白くないと“感じる”原因」を考えてしまう。
そう、私が「面白くない」と感じているのはあくまでも「私の感性がそこにマッチしなかった」というだけのことであって、万人が私と同じように「面白くない」と感じるはず、とは思っていません。

また、「これは芝居だ」とか「コントではないので」みたいな考察をしている人もよく見かけるんですが、そういう理由ってどう意味があるのか分かりません。芝居だから面白くなくても良いというわけではないだろうし、笑いが起こらなくても「面白い」芝居は当然あるし、なにより小林賢太郎自体コントや芝居の枠を超えたものづくりをしているように見受けられるので、見てる方がその辺をくくっちゃうのはどうかな、とも思う。

さてPAPER RUNNER。
やっぱ最大の「面白くない理由」は、キャラクターに魅力がない事だと思うんです。
例えば主人公の渦巻。たまに良いことを言うけど、基本的にイライラする言動が目立ちます。トマトと西が渦巻に共感する理由がさっぱりわからない(「あの人何も教えてくれない…」と羆にお願いするシーンの方が共感出来る)。
正社員への登用を断るシーンも、1回だけならまだしも2回も繰り返すと「もういいよお前いらない」って気分になる。いくらラッキーボーイだからってねぇ…
それとヒロインのマチ。ラブコメといえば主人公と喧嘩ばかりだけど、本気で喧嘩しちゃいかんと思う。ラブコメの喧嘩の基本は、本人たちがどうであれ、周りから見たらいちゃついてるようにしか見えないことなんだから。
だからマチが「ごーらー!」って怒鳴るシーンをあれだけ怖く描いてしまったらダメなんだ。「あぁん!?」ってすごませたらダメでしょ。怖いし…。

もう一人の主人公トマトや、「主人公のライバル」羆はこの二人ほどではないが、感情移入しにくいキャラクターなのは同じ事だ。マチに好かれたいならもっと他にやり方あるでしょ…。
トマトはまだ観客に近い立ち位置だが、イマイチ魅力に欠ける。
その他のキャラクターは可もなく不可もないのだが、そうすると「何のためにいるのかよくわからない」。
この作品はそもそも「漫画のセオリーにキャラクターを当てはめる」という手法で描かれているのだが、空いてるポジションにキャラクターを挿入しただけで必然性が感じなくなってしまっている。これなら全編アドリブの方が良かったかもしれない。

しかし逆に、これ以降のKKP作品では適材適所に人物が配置され、無駄がなくなっている。この辺は小林賢太郎自身もそう感じていたのだろうか?だとすれば私がここであれこれ書くのは愚の骨頂以外何物でもないが、そもそもそんな事は最初から分かりきって書き始めたので最後まで書く。

劇中、中盤くらいにトマトが「これは編集部で起こってる出来事なんです!」と漫画を完成させるが、いっそのことこれを落ちに持って来た方がよかったのではないか。実は私たちが見ていたお芝居は、漫画の世界のお話だったのだ!みたいな。
って、それって後の某作品に反映されることになるんだろうか。
うーん、結局これって小林賢太郎の試作ってこと?

ところで、前2作で個性的なしゃべり方だった村岡さんが、今回は普通だった。これは個性的な渦巻と差別するためか?いずれにせよ、編集長がしっかりした人物(考え方もしゃべり方も)として描いたのは良かったと思う。これで編集長まで鬱陶しかったら、さらに魅力半減だったろう。

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by choyushi | 2015-02-06 17:27 | 作品鑑賞 | Comments(0)
KKP#002 sweet7(2003)
※ネタバレの内容を含みます。ご注意ください。
鑑賞日記についての諸注意


「僕が今まで食べたケーキの中で、一番、特別だった」

これ、何気に一番長いんですね。日付がカウントされるから、「後どれくらいで終わる」ってのが予想出来るので、あまりそう感じなかったけど。
iPodで仕事帰りに旦那と一緒に見てたら、「日付ごとに区切られてるから、短く細切れで見れるのがいい」と言われました。なるほど、そういう考え方もあるのかw(もちろん最初は通しで見ましたよ)

7日間も休んで全然何も進まないんだけど、毎日同じような事をしているようで徐々に人間関係や状況が変わっていく様は見事。
次の作品『PAPER RUNNER』に比べても、各々の持ち味を活かした配役で良かったと思います。

さて、この作品一番の謎だった「ナッペ」のシーンなんですが、あそこどうも収録日「だけ」失敗したみたいですね。おかしいと思ったんだー…
しかし返す返すも惜しい。だってこのシーンがなかったら、毛利の見せ場がないじゃないですかやだー(パソコン技術はすごかったけど、やっぱりケーキのシーンが重要でしょう)
ところで「まともなケーキを20年作ってない」新井役の久ヶ沢徹さんは実際は調理師免許を持ってるそうです。料理とケーキでは違うかもしれないけど、いっその事新井が最後まで仕上げても良かったんじゃないかw
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by choyushi | 2015-02-06 17:26 | 作品鑑賞 | Comments(0)
KKP#001 good day house(2002)
※ネタバレの内容を含みます。ご注意ください。
鑑賞日記についての諸注意


「グッデイハウスは良いハウス!」(2002)

youtubeで3floorを見てDVDを買った作品。
カフェ、学習塾、絵画展、大家の部屋と、各階に工務店の従業員である片桐仁が見積もりのために訪ねては色んな問題に首を突っ込んでいく…という構図。全体的にはコントをつないでお芝居にしたような感じ。『CLASSIC』を色んな人でやってみた的な。
3floorの面白さが特出してて他がちょっと物足りないんだけど、それ以外では4floorのおっかさんと2floorの塾長が特出して面白かった。と思ったら、この二人は同じ劇団の人なんですね。その後登場する久ヶ沢徹さんも同じサモ・アリナズのメンバー。小林賢太郎と相性のいい劇団なんでしょうか。

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by choyushi | 2015-02-06 16:55 | 作品鑑賞 | Comments(0)
鑑賞日記についての諸注意
先日からDVDの鑑賞日記を書いているが、こういう物を書くと避けて通れないのが「もっとこうしたら良いのに」という感想だ。
いや、わかっている。書かなければ良いのだ。書けば書くだけ恥さらしなのは分かっている。だけど書かずにはいられないのだ。不満だから?いいや違う。本当に不満でつまらないと思った作品には感想など書かない。では何故か。人に言われる前に自分で言おう。自分の醜い嫉妬心のためだ。ああ言っちゃった。

私も曲がりなりにもデザイナーという仕事についている以上、「0から作り上げる」というのがどれだけ困難な作業かわかっている。そして、「出来上がった物にケチを付けるだけなら誰にでも出来る」ということも。それでも言ってしまうのは、自分が「0から作り上げられないからだ」そもそも作り上げる事が出来る人は、人の事をごちゃごちゃ言う前に自分で作る。当たり前か。

第一、だ。私は芝居をDVDで見て感想を書いている。これがそもそもの間違いで、基本的に芝居は劇場で見て楽しめるように作られている。決して、部屋で一人でカメラワークに振り回されてみるようなものではないのだ。
芝居には芝居の、映像には映像の「文法」というものがある。そこから逸脱した物が、必ずしも演出家や役者や舞台監督の意図したものとリンクするとは限らないのである。そこからしてああだこうだ言うのは筋違いなのである。

それでも書いてしまう理由は、先ほど述べた通りである。
通りであるがしかし、少し綺麗な言い方もさせてほしい。
それは「夢想」だ。あ、いや「妄想」でもかまいません。
しかし、自分もそれを作る事に関わっているとう夢想を一瞬でも味わいたい。
それが、分かっていても恥知らずでも、あれこれ言っちゃう心理なのではないだろうか。

恥さらしなのに変わりはないですけどね。

というわけで、もし関係者が何かの間違いでこの場末ブログの感想を見ても、あんまり気を悪くしないでいただきたい。作り上げ、形にしているというだけですごい事だと思うから。デザイナーの片隅に籍を置く人間が、負け惜しみを言っていると理解していただければ幸いです。


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以下追記。あるいは蛇足。

「文法」についてもう少し詳しく書こう。
この世の中は、一定の法則に基づいて機能しているわけではない、ということもある。
つまりはどういうことかというと、例えば英語があったり日本語があったり、同じ物を表現していても、表現する方法が変われば全く理解出来ないという事もある、ということだ。

具体的に書こう。
例えば貴方がフランス語を知らないとする。
では「バトー」はなんという意味か分かるだろうか。

答えは「船」だ。貴方は当然「船を知っている」はずである。にもかかわらず、それを理解する事が出来ない。
逆に言えば、その言葉を知っていれば理解も可能という事だ。

芝居や映画、小説、漫画…色んな物にそれ特有の文法がある。
それを知らなくてもある程度は楽しめるが、ほとんどは知らなくても楽しめる。でも知っていればもっと楽しめるし、そもそもその文法を知らないと理解すら出来ないものもある。
(そういえば、少女漫画は外国人や男性では読めない人もいるそうです。コマが時間軸で配置されていないからとか…。これも、私たちが自動的に文法を理解しているから読めるということでしょう)

お芝居や物語の感想を、ぼろくそにけなす人がいるとする。
果たしてそれは、作品がつまらないからなのか?それとも、本人が文法を理解していないからなのか?
私は断然後者の理由によるものだと思う。しかし、本人は絶対にそれを認めないし、そもそも気付きもしない。

先ほどの例えで言うなら、どんなに素晴らしいスピーチをフランス語で聴かされても、フランス語を理解しない人間からすれば意味不明の、人によっては雑音でしかない、ということだ。
では、「あれは意味不明だから駄作だ」という人を見てなんと思うだろう。

その人の勉強不足を笑うだけだ。

「この作品は駄作だ!」と言う人はそう切り捨てる前に、自分の好み、主義主張から一歩引いて、「この作品の面白いところはどこか」を探ってみる事をおすすめする。
誰かが情熱を注いで、誰かを魅了した作品なのだ。自分が気付いていないだけかもしれない。それはとてももったいない事だと思うから。


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さらに蛇足。
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by choyushi | 2015-02-06 16:03 | 作品鑑賞 | Comments(0)